勉強ができる=頭が良いと勘違いしていました。

「庶民よしおの回顧録:少年期から青年期へ」

こんにちは、庶民よしおです。今回は私の少年期から青年期までの経験を振り返ってみたいと思います。長くなりますが、お付き合いください。

目次

少年期:正義のヒーローに憧れて

幼い頃の私は、アンパンマンのような正義のヒーローが大好きな子どもでした。今思えば、その頃から公平さや正義を求める心が芽生えていたのかもしれません。

小中学校時代は、勉強面では特に苦労せず過ごせました。テスト前の一夜漬けで上位10位以内に入れる程度の学力があり、周りからも褒められることが多かったです。しかし、学校の治安の悪さには悩まされました。バイクが廊下を走ったり、警察が頻繁に学校に来たりと、決して良い環境とは言えませんでした。

この経験から、「偏差値の高い学校に行けば、もっと良い環境があるはず」と考えるようになりました。特に明確な夢はありませんでしたが、とにかく地元で一番偏差値の高い高校を目指すことにしたのです。

高校生活:理想と現実のギャップ

高校に合格した時は、家族も親族も喜んでくれました。しかし、高校生活が始まってすぐに、私は絶望を味わうことになります。

毎日、睡眠時間を削って大量の課題と予習をこなす日々。

明くる日、クラスメイトは平然と私の解答を写していました。

授業では、優秀な生徒ばかりが当てられ、写した解答を得意げに答える。

さらに、天才の中で埋もれた私は落ちこぼれに分類され、教師に挨拶しても無視されるようになりました。

ここでは、学力が低いと、人間として扱ってもらえないのだと理解しました。

そんな中、大好きだった祖父が突然亡くなりました。初めて経験した身近な人の死に、私はひどく落ち込みました。「何をしてもいずれ死んでしまう」という思いが、私の心を重くしました。

この出来事を境に、私は高校生活で努力することをやめてしまったように思います。学校の同級生たちは真面目で尊敬できる人が多かったのですが、どうしてもなじめませんでした。

学校は自由な校風をアピールしていましたが、実際には様々な問題がありました。無人の売店でのトラブルや、優秀な生徒による万引き事件、教師を見下す生徒の存在など、理想とはかけ離れた現実がそこにありました。

結局、私は家に帰るとオンラインゲームに没頭するようになりました。Skypeを使って見知らぬ人々と交流する中で、学校よりもゲームの世界の方が温かく感じられたのです。

高校3年間は、ただ時間が過ぎ去るのを待つような日々でした。大学受験が近づいても特に目標はなく、担任の勧めで関西の大学を受験し、なんとか合格しました。

大学生活:新たな発見と成長

大学生活では初めて一人暮らしを経験し、それまで周りの支えがあったことに気づかされました。高校時代の同級生が逮捕されてニュースになるという出来事もありましたが、私自身は無事に4年間で大学を卒業することができました。

大学で学んだ内容は専門的で日常生活にはあまり役立ちませんでしたが、答えの分からない課題への取り組み方を学べたことは大きな収穫でした。

まとめ:人生の気づき

22年という時間をかけて、私は多くのことを学びました。勉強ができることは確かに素晴らしいことです。一つのことを継続し、努力できる才能は尊いものです。しかし、それだけが人生のすべてではありません。

私の経験は、歪んだ思考回路を作り上げてしまった面もありましたが、同時に大切なことを学ぶきっかけにもなりました。挫折を経験したからこそ、気づけたこともたくさんあります。

これからも私の人生は続きます。これまでの経験を糧に、より良い未来を築いていきたいと思います。

長文になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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